『月光とピエロ』讃
西村 公男(S36,1B)
3年前の6月,ヒョンなことから東京で東西四大学グリー演奏会を聴く機会に恵まれた。しかも,あのサントリーホールでである。
ご存知,早稲田,慶応,同志社,関西学院の各グリーが,年に1度競演するハイレベルな交流コンサートで私の憧れの対象だったものである。折しも直前になくなった清水脩氏を追悼して,私の最も好きな男声合唱団である慶応ワグネルが,畑中良輔氏の指揮でピエロを歌ったのであった(関学も同じ趣旨で「アイヌのウポポ」を歌った)。
輝いて,深く豊かな青年達の歌声が,ホールの隅々まで長く響きわたって,一瞬の静寂が戻ったとき,この曲の持つ重みに改めて強く打たれた。そして,現役時代,あのガラガラ声の氏に2度,団に来ていただき指導を受けた幸せを思い,また,第一線の作曲家というより,合唱大好きオジサン的な人柄を懐かしく偲んだのであった。
ところで,開学100年を記念して開いたコンサートシリーズの第1回目は,もう,ひと昔以上の14年前のこととなってしまったが,この時にもまずはこれ,ということでピエロを歌った。それは全く感動的な演奏だった(と今でも密かに思っている)。OB会初の単独コンサートに全国から105人も揃い,実行委員としては大感激,数日前に急逝した熊谷さん(S35卒)の写真をポケットに,胸いっぱい声いっぱいに歌った……ということで殆ど主観的にそう思っているわけであるが,あの激しい拍手の勢いや,「発声や言葉の不揃いを越えた歌への情熱に圧倒された」という指揮の池上先生のコメントを,ここでは素直に受けとめておきたいと思うのだ。思えば,この曲は,生まれてこのかた,どれだけ歌われ語られて来たことか。何故こんなに愛されるのか,とかこの曲のメンタリティについてここで触れる余裕はないが,現役時代も何かにつけてはピエロであった。特に「秋のピエロ」はよく歌った。いつもこの曲といっしょだった。OB演奏会でも,2回目,3回目とも,アンコールでいずれも客演の池上,宍戸先生の指揮で3曲目の「ピエロ」をなんとも気持ちよく歌った。
清水氏が,30年ほど前,札幌放送合唱団の定演に,自作の「鼻長き僧の話」を振りに客演の際,打ち上げ会で余興に男声だけで(今回のメンバーもかなり含まれる)ピエロの1曲目を振ってもらったところ,ついに5曲全部を暗譜で歌い通してしまったというエピソードも懐かしい。
今夜,ご来場の皆様にも(特にオールドボーイ&ガールには)それぞれピエロへの思いがあろうかと思う。
宍戸先生の指揮で今度は,さてどんな演奏になるか,この曲への感謝の念を込めて,しかし単なるナツメロ気分だけではなく,気持あらたに“宍戸ピエロ”に挑戦してみたい。
(第4回OB演奏会プログラムより転載)