昭和27,8年頃の事

多米 豊(S33,2T)

 私が入団したのは一般教養の頃で,その頃の団室は,正門を入ってすぐ左側に木造の学生会館があったが,その奥の方にあった。

 団員は50〜60名位だったろうか。医学部の先輩が多かった印象を受けた。私たちIIテナのパートリーダーは渡辺末太郎さんで現在はアメリカにおられる。バスは牧之瀬望さんで,現在ドイツに住んでおられる。指揮は理学部の遠藤良治さんでオンボロの足踏み式の一番小さなオルガンで音を出して練習をしていた。曲目は多くは『ポピュラー男声合唱曲集』というのからとっていたと思う。余りむずかしいものではなかった。合唱の上手さからいったら,現在の合唱団の方が遥かに高いのは間違いのない事である。

 終戦後,第1回目のコンクールがあってそれにも参加したし,第1回の合唱団の公演を市民会館で開催した。その時に初めて緑色に白くHMCと染め抜いた団旗が出来たのであった。それから昭和27年に札幌で初めて第9を公演したのだが,その時も我々は参加することが出来た。私は当時英語研究会の方もやっていたので合唱団に全力投球はできなかったけれども,私の大切な青春の一時を,合唱は鮮やかに彩ってくれた。もう30年以上も前のことである。

(第3回OB演奏会プログラムより転載)

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